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楽しい人生日記

雑感、時々カメラ

考え

   考え方に、正解不正解はあるのだろうか、と思うことがよくある。一般的には、「ある」と信じられているように思えるが、そういう所謂常識には疑問符を投げかけたくなる。

   考え方に正解不正解があるとしたら、それは誰が与えるのだろうか。所属している集団が、集団として価値観の軸を置いたときに、そこから外れているか否かによって決められるように思える。

   さて、話は変わるが「文明」とは、個人が一人で生きていけるようになるための技術である、という考え方があると聞いたことがある。だから文明が発達するに従って、人が為す集団の構成人数が減ってきている。昔は祖父母、父母、子供の3世代で一つ屋根の下に暮らすのが普通であったが、今では核家族ですら散り散りになりつつある。文明の発達は、人を孤独にする。近年発達しているSNSは人の輪を広げているように見えるが、⚪︎acebookを閲覧した後に孤独感を覚えたことのある人は多いのでは無いだろうか。

   何が言いたいかというと、文明の発達は人の個を強調し、バラバラに分ける作用がある。そして、今現在の文明は、完全に孤立しても生きていけるようなレベルに達している。これを踏まえて、「考え方の正解不正解」について考えると、集団での生活が当たり前だった従来と違い、そもそも正解不正解を与える集団がなくなりつつあるように思える。これは、皆バラバラに、己の信ずることを信じてアクションを起こす、また、起こせる環境になりつつあることを示す。少し話は違うが、FFS理論では、集団は、その中に違うタイプの人間が混在している方が作業効率が上がることを主張しており、これを拡張して考えれば、皆それぞれバラバラに、自分の信念に従って動いた方が集団にとってもプラスとなる可能性が考えられる。ただ、この時重要なのは、人の考えを否定しない事だと思う。なぜなら、人の考えを否定するというのは、「正解不正解があって、お前の考えは不正解だ」と言っているに他ならないからだ。ここで一つの矛盾が生じており、「『どんな考え方をも認めるべきでない』という考えは認めるべきでない」、という前提が潜んでいる。しかし、こればかりは譲ることが出来ないため、ここが出発点となる。

   人間の社会的動物性を否定するような意見ではあるが、人は結局一人であるし、そこを覆す事もできない。人は一人である、を主張する限り、人の考えたを否定するべきではない。否定したければ、徹底的に人は集団を作るパーツでしかないという考え方を徹底する必要があるように思う。


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