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楽しい人生日記

雑感、時々カメラ

子供の頃の記憶

 小さなころのおぼろげな記憶というものがある。例えば、画面の様子だけは憶えているけれども名前が全く思い出せないゲームや、旋律を一部分だけ覚えているけれど歌詞や歌手、ましてタイトルが全くわからない歌といったものだ。またそのゲームをやりたい、またその歌を聞きたい、と強く思うのだが、いかんせん情報が少なすぎて探すのが困難を極める。そもそもそんな記憶が正しいものなのかさえも怪しく思えてくる。幼少期の幸せな夢だったのではないか、と。ところが、曖昧な記憶は探したくなるのが人の性で、今の時代にはインターネットという巨大な情報の壺がある。記憶を頼りに、いろいろなキーワードで検索することで、ある時ふと、その記憶に再開出来てしまう。見つけたときの感動はひとしおだ。しかし喜ぶのも束の間、数秒後には凄まじい喪失感が襲い掛かってくる。子供のころには狂ったように楽しんでいたあのゲームが、今見るとそんなに面白そうではない。なんだ、こんなものだったか、と。

 昔の記憶は、昔の記憶として懐かしむのが自然なのではないだろうか。もう会わなくなってしまった小学生時代の友人は、昔の友人として、記憶の中で友として居れば十分なのではないだろうか。Facebookに対して覚える違和感は、こういうことなのかもしれない。昔は昔、今は今。掘り起こすべきでないものもある。

 話は逸れたが、自分の中にある懐かしい曖昧な記憶を、今さっきインターネットで掘り起こしてしまった。上述した通り、とんでもない喪失感にみまわれている。自分にとって、自分の過去は有限だ。懐かしめる記憶はこれ以上荒らさずに、懐かしむためにそっとしておきたいと思った。